先日IPAのイベントで行われた学生と経営者の討論が注目を浴びている。
「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論
これは面白い。最近の理系(IT業界)離れを象徴するかのような討議になっている。
企業側の多くは(この発言に代表されように)個の突出した技術は求めておらず全体で大きなものを作るための小さい歯車であって欲しいと思っているようだ。 自分に技術がある、それを生かしたいと思うのであればそれが生かされる企業を選択しろといっている。
リンク先の文中にあるように、確かに全ての学生が自分持っている技術をこの企業で活かしたいという意識を持って就職をしているかと言われればそれはないだろうが、就職した者の多くは嫌でも数年で何かしら特化した技術を身につけるだろう。
それを無視して「10年は泥のように働け」と企業は言い放っていいものだろうか?これでは数年で会社を辞める若者を単純に卑下することは到底できない。
ではIT企業とはどうあるべきか。
まず、まだちょっと右も左もわからない若者。
与えられた仕事の中でも、「ここまではやってみよう」という努力と「ここまでやったら次はこうなれるかもしれない」という理想(計画)は自ら持つべきだ。少なくともこれらを与えてくれることを会社に求めるのは問題外。
常に自分ができること、やりたいこと、勉強すること、これらに対して自答を繰り返して、無限に広がる興味に対して日々あがき続けよう。
そしてこれらの思いは声を大きくして必ず企業へ伝えなくてはならい。
次に企業側。
完全な理想を言えば、個の特性を活かすべき。人にはもちろん向き不向きがある。放っておいても一人で会社の利益になることを考えて行動するものもあれば、集団の中での個である方が能力を発揮する人もいるわけだから。
ただ多くの企業でそうで業務させることが難しいということも分かっている。
だからといって「ただ働け」では駄目だろう。先述した「こうあるべき」と書いた者の意思に反することになる。これでは見限られて当然だ。
これらの問題に関しては自分は「行動で示すしかない」のだと思っている。
(ここでいう行動とは利益をあげるということだけではない)
上に立つものというのはやはり常に手本でなければならない。
これが比較的進歩の遅かった(それでも十分に早いとは思うのだが)今までは、経験に基づくものだけでなんとかなっていた時代があった。言い方は悪いが、これに甘んじてきた者の多くが、今回の発言に代表される人たちであり、現在のIT業界をつまらなくしてしまっている原因なのだろう。
日々急速に進歩しているIT(技術)。これらの中で手本を見せるということはすざまじい努力が必要だ。現在ある技術、まもなく実用化される技術、まだ確立されていない技術とその先の展望的な世界。現在、下の者が出来ていないことを解決してやれるのに加えて、これらに対しても「経験に基づく何か」を示してやらなくてはならいのだ。
先に「右も左もわからない若者」と限定して書いたのは、その自分もやがては(それこそ10年なんて先ではなく)上記のような者にならなくてはいけないからだ。今の技術進歩の速さからすれば、既にあること(ITの基礎)というものに対して仕事の中で学ぶということだけで身につけるということはありえないことにもきっと気がつくだろう。
下は上に追いつこうとし、上はその先の技術へ行こうとする。現在はこのバランスが大きく違いすぎるのだと思う。
ITという世界において未知の可能性対して互いに切磋琢磨する。ITに携わるもの全員がこうあって欲しいと願うばかりだ。
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